ほどよく涼しく、ほどよく暖かい、貴重な時間

2021年10月最後の週末の話。

前日まで「週末、お百姓の仕事はしない。」と、言っていたような気がする。だけど、父親は出かけて行った。まぁ、急に思い直すなんてことは、よくある話だ。父親は気まぐれだからね。

私はというと、午前中に用事を入れてしまったため手伝いに行けない。残念だなぁ、農業日誌のネタを一つ逃した気分だ。ということで、子供たちと全力で遊ぶことにした。幸いなことに、遊ぶときは“パパ派”に変わり身する。外で遊ぶことが好きな子たちなので、一緒に走り回ってくれることが嬉しいようだ。

でもね、子供の体力は無尽蔵だね。その小さな体のどこにパワーが秘められているのだろう、と感心する。ボールを投げて、蹴って、走り回って、大人は体力が持たないよ。そんな時は日陰で休憩、“10秒だけ”休憩させてくれる。ゆっくり数えてくれることに、優しさを感じる。

休憩中、子供たちが走り回ることができるほどの庭を残してくれたご先祖様に感謝。そのあと、私も後世に残すことの責任を感じる。なぜなら、農家に羨望のまなざしが向けられる時がくると信じているからだ。

私自身、幼いころから農家の子であることが誇らしかった。感覚的なものだから、万人に理解してもらえるような説明はできない。友人が、珍しがっている様子があったのだろうか。それを、私に興味を持たれていると思っていたのだろうか。私の住む地域では、農家は減少傾向にあるため、さらに珍しい家になるだろう。

自宅敷地と庭が広い家、手入れは大変だけど、こう言い聞かせる。“未就学児の二人が、外で安全に遊べる環境があるなんて幸せだ”と。あきれている妻が隣にいる。この思いが伝わらず、少し寂しい。いいさ、私の思いが伝わるように接すればいいだけだから。妻と子供たちに、きっと伝わる日が来ると信じている。

こんなことを考えていたり、考えていなかったり、、、時間は過ぎていく。子供たちが遊んでくれるのは、いつまでか分からない。次の秋は、友達と遊ぶほうが楽しくなっているかもしれない。そうなると、もう私は遊んでもらえないかもしれない。子供が成長してくれる喜びと、成長してしまう悲しさの間で、週末は葛藤していた。

過ごしやすい気候の中、子供たちと過ごすことができる時間は少ないかもしれない。何よりも大切にしたい時間は、季節が巡るよりも早く過ぎていくのだろう。

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